シンボル

 「シンボル」ということばは、通常の会話にも広く登場するごく一般的な用語である。
 例えば、「松下電器の本当のシンボルは松下幸之助氏自身であった」、「日本のシンボルといえば富士山・・」、「新生アフガニスタン統合のシンボルとしてザヒル・シャー元国王が帰国」といった具合だ。しかし、その本当の意味は?となると、結構難しいことばである。「シンボル=Symbol」の本当の意味を問えば、もっと広い概念「記号=Sign」とは何かという問題に突き当たる。「記号論」ないし「記号学」は、遠くギリシャ時代にまでさかのぼるすそ野の広い哲学の分野だ。
 「記号」の中核である「言語」とは何か、人は長い間コミュニケーションそのものの根元的意味を問い続けてきた。近代以降の「記号」に関するアカデミックな足跡を辿ってみても、ジョン・ロックやライプニッツ、現代記号論の祖ともいえるアメリカのC.S.パース。 そしてフッサール、ソシュール、メルロ・ポンティ、フーコー、ドゥルーズ、ボードリャール等々、 1980年代前半の日本の記号論ブーム(何故ブームだったのか未だによくわからないのだが・・)を支えた知的巨人たちの名前が連なる。
 しかし、記号論ブームから20年を経た現在でも、正直なところ「記号」の定義すら未だ定かとはいえない。 まだまだ斬新な発想や新しい理解が登場しうる熟成途上の思索分野である。 経営戦略上いまやブームの「ブランド」も「記号」の一角に入ることは確かだ。 しかしどんなブランド論を聞いても今ひとつはっきりとつかめないのは、ある意味当然なのかもしれない。

 さて、アカデミックな記号論はともかくとして、「シンボル」について確かなことは、 シンボルとして表象される象徴的モノや事象=「しるし」は、必ず何らかの「意味」を後ろに従えているということである。 「しるし」は間接的に背後の「意味」を表現するいわば「比喩」の機能をもつ。 本来の「意味」を文章や言葉できちんと説明するとしたら、それなりに紙幅も時間もかかる内容を、一発で表してしまうものだ。水戸黄門はただの隠居老人だと思わせて、地方権力者の悪事を暴いた。 いざとなると、葵の紋所の入った印籠を高く掲げる。 ただの隠居老人が一気に時の権力の頂に登り詰める瞬間だ。 葵の紋所という「しるし」が、地方権力者よりもはるかに上位の権力、つまり徳川家の威光と強大な力の存在という「意味」を発信するのである。
 一方、このストーリーが成り立つためには、その「しるし」と背後の「意味」との不可分な関係が広く認識されているという前提が必要だ。 仮に、葵の紋所と徳川家、そしてそれが時の権力の中枢であるということを全く知らない人の前だとしたら、 かの印籠を掲げるわけの分からない小柄な老人はあっという間に切り捨てられてしまうに違いない。 印籠には刀に勝る秘密の力など全く無いのだから、助さん角さんがいくら剣の達人でもいずれ力尽きるのは間違いないのである。キリスト教のシンボル「十字架」も、それ自体は単に2本の棒をクロスさせた十文字にすぎない。 しかしキリスト教の教義、西欧における歴史を知っている者に対しては、その十文字一個で、 背景に控える膨大なキリスト教の意味を瞬時に伝える力がある。 一個のシンプルな十字架を高々と掲げるだけで、数万人の信者を一気にその場に跪かせることができるのである。 説明などいらない。しかし、キリスト教を全く知らない者、あるいは、敵視している者にとって、 その十字架は躊躇無く踏みにじることのできる、単なる粗末な作り物に過ぎない。こうして、あの「踏み絵」は成り立ったのである。  ここに、シンボルとその意味との呼応関係を成り立たせ、それを学習し、ひろく伝える行為、 つまりコミュニケーションこそがシンボルには不可欠の問題として浮上する。 広く知られていなければ、まさに「絵に描いた餅」「猫に小判」「豚に真珠」なのである。

 シンボルとコミュニケーションの関係を分かりやすくするためには、時間軸を入れて考えてみることだ。シンボルがシンボルとして成り立つ、ライフサイクルのようなものだ。ソシュールの難解な理論も、ぐっと身近に感じられるに違いない。シンボルにはまず、それが新しく生まれる時期がある。 つまり、意図的に「しるし」と「意味」とを対応させ、結びつける時である。 十字架をキリスト教のシンボルとして成り立たせた時だ。もちろん、そのとき多くの人が「なるほど」と合点するだけの説得力が必要ではある。 しかし、基本的にはその結びつきは何でもありである。 「鰯のあたまも信心から」なのだ。
 菊紋は天皇家のシンボルとして今や確固たる位置にある。 しかし、それが制定されたのは12世紀、時の後鳥羽天皇が、たまたま菊花をこよなく好まれたことによるとされている。 それまでの天皇家の正式紋章は「日月紋」だったのである。 その後も歴史的にはそれほど厳密な管理を行ってきたわけではなく、下賜された公家や大名なども比較的自由に使っていた。 楠木正成の菊水紋などもよく知られている。しかし、明治に入ってから天皇制の権威を確立するための意図的な施策として、皇族以外の菊紋使用が禁止された。 さらに1889年(明治22年)の天皇旗章の制定、1926年(大正15年)の皇室儀制令により、 細かいデザインや使用範囲までが厳格に決められ、今にいたっているものである。

 シンボルは、意図的に「しるし」と「意味」とを対応させ、結びつけたものであるから、 放っておくと対応が風化し、結びつきが希薄化する運命にある。したがって、まずその結びつきを社会一般に強くアピールし、共通の「ことば」のレベルにまで認識を広めておく必要がある。 反復学習作業が絶対的に必要なのだ。 「イヌ」といえば誰でもがあの動物を思い浮かべるように、「菊紋」を見ただけで誰でもが天皇家を想起するようになっていなければならない。 したがって時代を超えて、繰り返し繰り返し、新しい世代の脳裏にも刷り込み続ける必要がある。このようにすでに確定している「しるし」と「意味」との対応関係を、 社会の基盤となる約束事として維持するための不断のコミュニケーションをはかる段階が、第2の時期である。

 次に、社会の環境変化に伴って「しるし」と「意味」との対応関係が揺らいだり、変化してしまう時期がある。 放っておけば、いずれ風化する。しかし、たとえそれなりのコミュニケーションがはかられていたとしても、時代とともに、 あるいは別の意図によってその「意味」の方が変わってしまうことがあるのだ。ナチスのシンボルとして有名なカギ十字は、ナチスの登場以前から存在していた。 純粋に幸福のシンボルだったのである。 あのナチスとて、最初からあのような恐怖の政策を標榜したわけではない。 それまで、世の中にあった幸福のシンボルを党のシンボルとして使用した。 一般的だった「しるし」を、ナチス独自のものとして「意味」を結びつけ、徹底して浸透させたのである。 その結果、もともとあったあのシンボルは、ナチスの「意味」だけを表象する強い「しるし」に変貌してしまったのである。こうして、幸福のシンボルだった「カギ十字」は、ナチスの行為の結果、歴史的な恐怖のシンボルになってしまったのである。
 最近の事象としては、ニューヨークマンハッタンの象徴、ワールドトレードセンタービル(WTCビル)のケースがある。 2001年9月11日以前のWTCビルは、まさにニューヨーク摩天楼のシンボルであり、 未開の大自然との対極にある、最先端の文明を示すシンボルであった。 「クロッコダイルダンディー」や「キングコング」等、数々の映画にそのメタファーとして用いられたことは記憶に新しい。しかし、あのテロ事件の結果、その「しるし」の方がこの世から消失してしまった。 いまや、そのコンテクストとしては全く使うことはできない。 たとえ、WTCビルの過去の映像を保有していたとしても、それは全く違う「意味」のシンボルに変容してしまった。 多分、そこから想起される重い意味に、しばらくは正視できないに違いない。

 もう一つの段階は、「しるし」と「意味」の結びつきが風化し、忘れ去られ、静かに歴史から退場してゆくことである。今、イースター島のモアイ像や、ペルーの地上絵、そして奈良の石舞台等がシンボルとして担っていた「意味」を知る術はない。旧ソ連の国旗がその「意味」とともに、歴史上から完全に消え去る日がこないとはいえないのである。第二次世界大戦を知らない世代の数の方が圧倒的に増えてしまった今、 広島の原爆ドームとその「意味」の結びつきを将来に渡って風化させない努力は並大抵ではない。 努力を支えるコストに耐えられない時代がこないとも限らないのである。

 さて、シンボルには生成から消滅までの段階があることが分かった。強いシンボルを生み出す段階では、「しるし」と「意味」の対応関係を厳密に規定し、強力にアピールする必要がある。 そして、それを社会の基盤となる約束事として維持するための不断のコミュニケーション努力が不可欠な段階を迎えることも分かった。しかも、少しでも放っておけば、やがて静かに歴史から退場する運命にあるというやっかいな代物でもある。 たとえコミュニケーション努力を続けたとしてもその「意味」の方が変容してしまうこともあるし、逆に「しるし」が消失してしまうことすらあるのだ。こうして考えれば、扱いにくいものには違いないが、社会的意志さえあれば、シンボルのライフサイクルに応じて様々な延命策があることもまた間違いない。 シンボル操作をコンサルティング業務とする者にとっては、その考察こそ重要である。 しかし、シンボルとはまるで生命体のように、いかに危うい変化因子をもともと内包しているものか、その深い認識こそがより重要に見える。 諸行無常の響きがあるのだ。 シンボルが人為的に生み出される文化的所産であることは間違いがない。 むしろ文化的生命体といってもいいのかもしれないのである。我々は、まさにこのシンボルという文化的生命体を次々と生み出しては飼育し、使いこなしながら社会の秩序を形作ってきた。 そして用が無くなればそのまま使い捨てにしてきたのである。 文化遺跡とはシンボルという文化的生命体の骸のことなのだ。シンボルの生産というこのバーチャルな営為こそ、人間の証そのものかもしれないのである。

そして最後に、シェークスピアがその作品「ロミオとジュリエット」で遺した、ジュリエットが発する美しい台詞のシンボリックな意味をかみしめてみたい。「名前がどうだというのでしょう。 バラは、たとえどんな名前で呼んだってその香りは変わりませんわ」