企業文化

 「企業文化」とは、1970年代末から1980年代にかけて米国で生まれた考え方だ。用語自体も、英語の「Corporate Culture」の訳語として日本にもたらされた。したがって、一般的に我々が使う「文化」の意味と「企業」という言葉の取り合いが今ひとつしっくりこない。 もともと広く使われていた「社風」とか「企業風土」、あるいは「企業体質」等の方が日本語としては分かりやすい。あえて英語で「Corporate Culture」などと云われなくても、「質実剛健な野武士集団」、 「自由闊達、風通しのよい風土」等の体質を表現する言葉はこれまでもたくさんあったし、ビジネス会話上も長いこと普通に使われてきた。もっとも、この経営上の概念が誕生したそもそもは、当時の日本企業の強さについての研究に基づくものだという。 そういわれると、なるほどと思うと同時に、この種の経営学的研究が何故日本で生まれないのか、不思議な気もする。

 さて背景を少々。1960年代から70年代にかけて、高度成長の牽引力であった日本の製造業は、こぞって米国への輸出を志向した。 その結果、高品質低コストの日本製品が米国にあふれ、現地企業との様々な貿易摩擦を生じた。 現在の日本にとっての中国のような存在だったといえる。 日本製品の進出に伴って、米国の同業は急速に競争力を失い、多くの企業城下町が衰退した。 これも、まるで今の日本の工業地帯の深刻な荒廃をそのまま見る思いがする。日米の貿易経済バランスの極端な変容は、当然の帰結として、1980年代に入っての深刻な円高/ドル安を引き起こすこととなる。 そこで、輸出至上主義から現地生産主義へのシフトがおきた。 特に自動車製造業は、いち早く現地法人を作り、多くの工場を造った。自動車組み立て工場が動くと、それに連なって、様々な部品メーカーも進出した。 タイヤメーカーや鉄鋼大手の薄板工場までが一緒に進出したのである。 世界の歴史上、植民地以外でこれほど大規模な産業のシステム移転が起こったことはなかった。こういった動きに伴って、米国の産業過疎地から、日本企業誘致ミッションが相次いだのもこのころであった。
 当時、一般の日本人には全くなじみのなかったアーカンソー州の知事が、若き日のクリントン前大統領。 この国際的には無名の若き知事は、誘致の陳情に訪れた永田町や霞ヶ関でかなり冷たくあしらわれたという。 その時見下すように応対した、あるいは多忙を理由に面会を断った日本側高官達は、クリントン氏の大統領就任時、実はかなり動揺したというエピソードも残る。同じ時期、逆に日本からも多くの企業進出に関する視察ミッションがもたれた。筆者もある視察ミッションに参加したことがある。 訪問したテネシー州では、思いがけず、州知事自ら先頭に立っての異例の歓迎にあって驚いた。 南部白豪主義の中心地の一つともいえる州都ナッシュビルの地元商工会主催の歓迎パーティでは、 「日本人とはいったい何を考えている人々なのだろう」というあからさまな好奇心と期待の混じった応対を受けた覚えがある。そのミッションでは、各地の進出日本企業の幹部から様々な現地化の苦労話を聞き歩き、最後は、 カリフォルニア州立大で訴訟社会米国の実態と対応策についてレクチャーを受けるというハードなプログラムだった。  つまり、当時の日本企業は、米国文化の理解とそこでの順応化をテーマに、必死で学習を続けていた。その同じ頃、一方の米国経営学界では、何故日本企業はこんなにも競争力があるのか、 冷静で科学的な比較研究分析を重ねていたのである。日本企業を一つのたまごだとすると、日本側はそのたまごを米国のどこにどう置くべきか、 どうすればあまり目立たず、踏みつぶされずにすむか、あるいはどんな色に塗り替えればより好かれるか等を研究していたといえる。 それにひき替え、米国側はそのたまごの中身の秘密を研究していたのだ。 日本側が暗黙のうちにその殻で守ろうとした内側のメカニズムそのものである。 その結果、日本企業の競争力を支える様々なファクターの中でもっとも特異なものは、 徹底した集団的規律で高品質を支える「文化」にこそあるという結論が導かれた。
 それが「企業文化論」の原点である。ただ最初は、「Corporate Culture」といっても、それは次々と注目されては消えてゆく目新しい経営用語の類の一つぐらいの位置だったようだ。 しかし、比較研究を通じて、米国内にも例えばハーマンミラー社とかナイキ社のような独特の「企業文化」を持つ会社が存在し、 かつ定量的な業績との相関がきちんと研究実証されて、やっと認知も広がりだした。この概念が社会的に決定的な位置をしめたのは、1989年、 TIME社に対するPARAMOUNT社の買収工作を排除した判決にこの「Corporate Culture」という言葉が登場したときだと云われている。その判決の中で「・・はっきりと知覚できる、特有の、かつ利益を生むと考えられる”企業文化”に対して脅威が及んだと理解されれば、 法律的にもこれを認定すべき場合が出てくる・・」と述べられた。企業買収によって被るダメージの脅威から守るべき対象として、「企業文化」という新しい価値の存在が明確に認められたのである。 「企業文化=Corporate Culture」という言葉が、社会的認知を正式に得た瞬間である。

 では、「企業文化=Corporate Culture」とは具体的にいったい何か。一般的にはその企業の世代から世代に受け継がれてゆく、 「モノの見方」や「考え方」そして「行動様式」に現れる「独自の価値観」のことと云われている。 別に集団主義のことだけを指している訳ではない。特に、その企業が何をもっとも大切にするかに注目すると、それは明快に見えてくる。 ある企業では「もうけ」こそが最も分かりやすい共通の価値だ。 それは各々が受け取る報酬の額に深い関心を示すことによって、より現実味をもってブレークダウンされてくる。 また、ある企業においては「技術革新」、他の企業では「コストダウン」こそが最も関心を呼ぶ価値として位置付けられる。 したがって、その企業での昇進やボーナス評価には、そこへの貢献が最も重視されるという具合だ。 そして、独自の「価値観」や「行動様式」がその企業の利益を生んだり、競争力を生み出す基にあると認められるとき、 それは強い「企業文化」があると云われる。 しかも多くの場合、構成員を結束させるそれら価値観を社員自ら自覚することはない。
 家具メーカーとして名高いハーマンミラー社の総帥、J・デュプリーは、工場で事故死した従業員の葬儀に参列したとき、 その妻が朗読した故人の詩に大きな感動を覚えた。 そして、そこで彼が悟ったことは、我が社の従業員にたまたま詩作に長けた人間がいたのではなく、 優れた詩人がたまたま我が社で働いていたのだ、ということだった。 このひらめきは彼の経営スタイルに決定的な影響を与えた。 そこからデュプリー独特の従業員観や労働観、独自の企業観が生まれたという。 ハーマンミラー社の、個人の尊厳を優先する企業文化はこうしてはぐくまれた。 末端社員にいたるまでの垣根を超えた提案制度、年金や利益の還元に関する独特の制度等が次々と出来上がっていった。 しかもそこから数々の歴史的な名家具が生み出され、従業員の高いモチベーションのもと、長期的に高収益を上げ続けているのである。

 こうして「企業文化」を捉えてみると、 E.H.エリクソンがアメリカ先住民族「スー族」の研究で紹介した文化人類学的観察が思い起される。スー族の男の子は最初の乳歯が生え始めるころ、意識的に手足を縛られ、ゆりかごの中に固定されて時間を過ごさせられるという。 歯が生え始めると、歯茎のかゆみをしのぐために普通の乳児は何かを強く噛んだり、こすりつけたりする。 この時の噛む行為が後の精神状態や性格に大きな影響を与えることは、発達心理学の中では広く知られている。 しかし、スー族の男の子はこの時期に徹底的にフラストレーションを味わされる。 噛みたい欲求を手足を縛られて、いくら泣き叫んでもそれを満たすことは許されない。 スー族の母親達は、この「しつけ」こそが後の勇猛な戦士を生む秘訣であることを知っていた。 この子供達は、やがてどう猛で残忍な精神をはぐくみ、死をも恐れない戦う男に成長するという。
 しかし時代は変わり、命をかけて部族を守ることや、勇猛なバイソンとの戦いの場が無くなってからも、 その風習は変えられることなく続いた。 その結果、どう猛な男達のはけ口は様々な犯罪や、酒に溺れる日々の方へ向かってしまい、 誇り高き彼らの文化そのものを破滅させてしまったのである。つまり、ある集団が受け継ぐ風俗習慣等の文化は、その集団が歴史的におかれている環境の中で、いかに競争優位な力をはぐくみ、 よりよく生き残るかの術と密接につながっているのだ。 そして取り巻く環境が変われば、同じ文化は無用か、むしろじゃまにさえなるのである。「企業文化」を理解するための事例としては、極端に過ぎるかもしれないが、原理的には分かりやすい話に違いない。例えば、毎朝社歌を全員で唱和するという会社がある。 あるいは、新入社員全員が富士登山の洗礼を受けなければならない会社もあれば、 毎年元旦に幹部全員で創業者の墓参りをする会社もある。米国の企業からみれば、社員全員で社歌を唱和するなど考えられないことだという。 しかし、国旗の前で胸に手を当て、国歌を斉唱する国民の数は米国の方が、日本よりもはるかに多い。要は、どんな切り取り方の集団に対して、どんな種類の帰属的価値をおいているかの違いだけの話だ。ちなみに皆で歌を唱和する行為は集団主義への入り口としては、割と安易な方法である。 最も一体感を体感しやすい方法のひとつだろう。 最近の北朝鮮に関する報道映像では、国民は四六時中、皆で歌ってばかりいるようにさえ見える。

 ある場面では個の自立、自由を圧倒的に優先する全く同じ人間が、違う場面では、 集団の規律の中で一体化されることに思いっきり入り込んで行くことがある。 全ては相対的な状況認識の問題だ。 その集団が置かれた環境の中ではそう振る舞う方が、より強くなれることをよく知っているのだ。 その方が構成員により多くの利益をもたらすと判断されるからに他ならない。 ジェネラティビティにつながる心地よさがある。 しかもそれを暗黙のうちに、伝承文化として受け継いでゆくのである。
 学校や、社会の基礎的な規律に全く順応できない少年達が問題とされている。 しかし彼らが自ら作り上げる暴走族等の内部規律の厳しさは想像を絶するものがある。 暴走族内部でのあの厳しい掟に比べたら、学校の規則など取るに足らないものに見えてしまうはずだ。人は、大小様々に切り取れる複数の集団に帰属しながら生きている。 家族や家系、地域、都道府県単位や国籍、様々なレベルでの出身校、趣味のサークル、職場、職能、 時には血液型や干支、星座にいたる何十種類ものマスクを付け替えて自分を語ることが可能だ。 しかも家族という単位の中でさえ、夫婦、親子、兄弟姉妹の間で使われるマスクは同じとはいえない。そしてそれらのマスクの中で、どのマスクをもっとも重視して生活しているかの考察が、「企業文化」を理解する上では重要だ。日米に限らず、中国でもEUでも同じように所属企業でのマスクを皆持っている。 大きな企業では、部門別のマスクの差が大きいことも同じだ。しかし、ひとたびそのマスクを付けている時間の差や、社会的価値の差から見直してみると、大きな違いが立ち現れる。
 まだまだ終身雇用制が主流の日本で、特定の企業に所属している期間は圧倒的に長い。 初対面の時「どちらの会社にお勤めですか?」と訊かれるのも日本の場合に偏っている。 つまり、会社のマスクの重要性は飛び抜けて高いのである。 米国で企業文化に際立った特徴を示す企業も、調べてみると従業員の勤続期間が長いという共通点を持つ。 職業を尋ねられて「エンジニアです」と答えるより、たとえば「IBM勤務です」と答える人の割合の方が多いのも共通している。特徴ある企業文化を形作るには、従業員にその企業のマスクを付け続けることへの覚悟、 ないしはそこで受けられる安定感の確信が前提になることを理解しなければならない。 つける会社のマスクを2,3年で変えることが当たり前であれば、人は自分の持つ個人的スキルや、個人的ネットワークのマスクの方を重視する。 継承すべき「文化」の価値はそちらのマスクの集団の方にこそあるのだから当然である。
 そして、もう一つの共通点は、所属した集団が表面的か暗黙かを問わず、構成員に刷り込もうとする厳格な「教育/しつけ」が存在することだ。そして、その達成度合いに対して与えられる「評価/罰則」によって決定的な意味がもたらされることも共通している。ひとたびマスクを付けてしまえば、その中でよりよく生き抜くための伝承文化を収得する必要が出てくる。 たとえ社歌の斉唱であれ、創業者の墓参りであれ、その文化が当たり前のものに感じられるまで収得は続く。 その企業が成長と収益をあげ続ける限り、外から見れば一見バカバカしくても、絶対的な価値として引き継がれてゆく。 積極的にやり抜く者が評価され昇進する。 たとえ、少々の営業成績を上げたからといって、墓参りをしない者はどこかで疎んじられるのだ。 その異様さこそが逆に強さのシンボルとしての機能を果たし始めるのである。
 そして、スー族の例でみたように、その集団の強さを維持するための伝承文化は、環境が変わった時には逆にじゃまにさえなる。 企業の場合は外界の変化の振幅が格段に激しいだけに、一時の強さを支えた文化はそれ自身があっという間に障害にさえなってしまうのだ。結局長期的に強さを維持するためには、素早く変化しうる文化をあらかじめ内包していることが必要だ。 強い企業文化とは変わってゆく強さでもある。 素早く「学習/しつけ」を変え、「評価/罰則」を大胆に変えることが必要なのである。
 文化人類学的にみれば、集団を束ねる長の素早い判断とカリスマ的リーダーシップ、その判断を補佐する参謀役の深い知恵が重要だ。 文化を切り替えるやり方は、多人数に対しては、論理的説得だけでは難しいし時間がかかりすぎる。 しかも前体制での利権に脅威が及ぶとなれば、激しい抵抗を招く。こうして、文化を変えるためのコミュニケーション戦略として、 新しい象徴的行為やシンボリックアウトプットが新たに必要となる。文化を変えるための新たな墓参りや、富士登山にあたるものが必要とされるのである。 次の企業文化にふさわしい新しいシンボルが求められるのだ。アイデンティティ戦略とは、まさにこの時有効に機能するためのメソッドなのである。

 歴史的経験を積んだ、本当にしたたかな文化を持つ集団には、それまでの価値観がうまく行かなくなったとみれば、 それをさっさと総括して切り捨てる知恵がある。 マスクの裏側にある本質は、何があってもしぶとく生き残る。 マスクを塗り替え、躊躇なく新しいマスクの「理念」を書き換える。 そして新しいマスクにふさわしい演じ方をあっという間に収得するのである。マスクの裏側にある得体の知れない生命力こそあらゆる集団の、いや人間に共通のしたたかさなのかもしれない。平成天皇が皇太子時代、昭和天皇が敗戦の放送を行ったすぐ後の感想を記した日記の記述を興味深く呼んだ記憶がある。 (ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」)
 彼によると、日本の敗北には二つの根本的な要因があった。 一つは物質的な後進性、特に科学の遅れであり、もう一つは人々の手前勝手によるものだという。個人どおしで比べれば、どんな点でも日本人はアメリカ人よりも優れているが、ただ団体になると日本人が劣ると分析した。したがって日本の未来への鍵は、科学を発達させることと、アメリカ人のように一つの国として力をあわせるようになることなのだと総括した。 あの歴史的な日を迎えてすぐの日記だというからすごい。前日まで続いた挙国一致団結の美学や、日本人の文化に対して抱いていた伝統的集団主義の解釈が、ここでは見事なまでに逆転している。 どういった認識を経てこういった結論を導き出したのか、興味はつきない。
 しかし、日本はあの敗戦時のどさくさに紛れて、いつの間にかマスクの付け替えに成功したことだけは確かだ。 大東亜を指導する使命を持つ、優越民族の血統集団がつけていたマスクは、あっという間に経済優先の企業集団のつけるマスクに差し換えられた。あれから60年ちかくを経て、「企業文化」なる概念まで生みだした強い企業集団にも大きなかげりが見えている。 このしたたかな国民が次に付けるべきマスクは何か、正念場ではある。